第5回マニフェスト大賞 「最優秀政策提言賞」を受賞しました! 特集ページはこちら
毎日フォーラム 7月号・寄稿文掲載 寄稿文の詳細はこちら
論文:中国残留帰国者問題の研究 ― その現状と課題 ― を公開致しました。論文の詳細はこちら
« 2016年 09月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30


出産体験記「大量出血、容態急変・救命救急医療センターへ」

<大量出血、容態急変・救命救急医療センターへ>

出産から少し経ち、体に悪寒が走り始めました。

それも強烈な悪寒が。

看護師さんが私の体温を測ると38.8℃。

子宮の収縮を促すためにアイスをお腹にのせていましたが、悪寒が走るのでお腹を冷やすことが辛くなってきました。

ぶるぶると強烈な寒気に襲われます。

そして今度は下から大量の血が滝のように2回、どくどくと流れ落ちてきました。

何回も何回も、その後、止めどなく出血し始めました。

 

血が止まらないので先生を早く呼ぼうと看護師さんたちが慌てています。

幸せなひと時から急転、分娩室が物々しい雰囲気になってきました。

主治医が来てからは、お腹のマッサージが始まりました。

悶絶するほどの痛さです。

 

大量出血に伴う治療を主治医が行っている際にも、容赦なく医療スタッフによるマッサージが続きます。あまりの痛みに我慢できずに悲鳴に近い声を上げながら「いつ、終わりますか?」と問いかけると、主治医からは「血が止まるまで!」との返答。

 

医療スタッフがマッサージを一生懸命しても、止めどなく大量の血が滝のように流れおちていく中で、今度は吐き気に襲われ、何度も吐き戻しながら苦しみました。

 

「救急搬送します」と主治医から言われ、すぐに救急車で近くの救命救急医療センターへ運ばれました。

担架で移動する際、やはり赤ちゃんの事が一番気がかりです。

出産に立ち会って頂いた何人かの看護師さんに「赤ちゃんをお願いします」と託しました。

そして、担架で運ばれる時、別の医師に「私は死ぬかもしれないのですか?」と聞きました。

医師からは「死にません」と力強く言われました。

私はその言葉に励まされながら、救急搬送されました。

 

夫は夕食を終え分娩室へ娘たちと向かったそうです。しかし、部屋で待つように言われ、そうこうしているうちに輸血の承諾書にサインを求められ、事の重大さを知ったそうです。

そして、夫は救急車に主治医と乗り込み、子ども達は徒歩で救命救急医療センターへと行きました。

 

救命救急医療センターに着いた頃には(十数分で到着)、私の意識は朦朧としていました。

医師から酸素マスクの装着をされましたが、酸素マスクの装着自体が苦しくて苦しくて、払いのけてしまいました。

医師から「死にますよ」と言われ、仕方なく酸素マスクをしましたが、今度は耳元で気管切開と言う言葉が聞こえてきます。

喉元に麻酔薬を2回吹きかけられ、その後意識が無くなり、気が付いた時には夫が医師たちの後ろで笑顔で私に手を振っていました。「夫が笑顔で手を振ってくれている」と思ったものの(この時、呼吸を確保するために気管挿管をされていました)、また意識が無くなり、次に気が付いた時には翌日の朝となっていました。

 

この間、家族(子ども達も一緒)には医師から、先ず最初に失血死をするかもしれないことや場合によっては子宮摘出を行う事があるかもしれない、呼吸が止まるとすぐに死んでしまうので、呼吸を確保するために気管挿管をするとの話があったそうです。

 

今回、私の病症は※羊水塞栓症弛緩出血でした。

分娩後、突然、血液の凝固能が低下し、胎盤が剥がれ落ちた子宮壁からさらさらした血液が止まらずに大量出血、ショック状態に陥り、短時間で生命危機に瀕する重篤な疾患となるものです。

※羊水塞栓症の発生頻度は、2万人~3万人に1人の割合で非常に珍しいもので、発症すると妊婦は60~80%の確率で死に至るそうです。また、年間、妊産婦は約50人程亡くなっているそうですが、その中で約3分の1がこの病症で死亡していると後日、医師から言われました。

 

人間の体内血液は約5000mlあるそうですが、私は4365mlもの大量出血を起こしていました。

そして、救命救急搬送された時には、輸血10人分が行われ、EICUの集中治療室で治療を受け、高度な医療技術で命をつないで頂きました。

 

今回、出産をした病院の医療スタッフの皆様の適切な処置と救命救急医療センターの医療スタッフの皆様の高度な医療技術により、私の命は救われました。

ご尽力くださった医療関係者の皆様、心から感謝申し上げます。

 

この出産を経て、「家族のために生きたい」と心から思いました。

そして、この瞬間、瞬間、生きていることがとても新鮮で素晴らしいことだと感じています。

私は、家族と共に新しい人生を歩み始めています。




出産体験記「無痛分娩~出産」

<妊娠9か月39週0日目・無痛分娩~出産>

起床早々、体温を計り血圧測定をした後、朝8時過ぎには、診察に入りました。

昨日挿入したバルーンの効果が効き、子宮口はこの時5~6センチ開いていました。しかし、痛みは全くありません。

 

この時、人工破水をする選択肢もあったようですが、敢えてしませんでした。何故なら、第1子・第2子ともに破水して30分もしないで赤ちゃんが産まれているため、あまりに早くに破水をさせる事への不安を主治医に訴えていたからです。そのため、主治医の先生から、人工破水は直前にしますとのお話を頂きました。

 

分娩室に行き陣痛促進剤を入れ、陣痛の痛みで段々体が重くなってきたところで麻酔を背中に打ちました。

強烈な痛みはないけれど、陣痛の波が定期的におこります。

人工破水もして、最後は助産師にお腹を強く押してもらい、無事赤ちゃんを出産することができました。

 

分娩所要時間は5時間30分、3676グラムの元気な女の子が産まれました。

とても楽なお産でした。

 

夫と長女がお産に立ち会い、次女も出産20分後に駆け付けてくれました。分娩室では、子ども達が看護師さんから胎盤を見せてもらったり、赤ちゃんの記念撮影をしたりと笑い声が絶えない中で、家族皆が幸せなひと時を過ごしていました。

そして、夫と娘たちが少し早目の夕食をとるため院内のレストランに行くことになり、私は夫と子ども達を笑顔で見送りました。

 

私自身、出産という大仕事を終え、可愛らしい赤ちゃんと家族の喜ぶ顔を見てほっと安堵していました。




出産体験記「無痛分娩 前日」

<妊娠9か月38週6日目・無痛分娩 前日>

あまりの激痛の為、当初予定していた日にちよりも1日早めの入院になりました。しかし、一夜明けると昨夜の痛みがうそのように引いています。その為、当初から決めていた日程で、無痛分娩をすることに決まりました。

 

私にとって、無痛分娩は初めてです。

第1子、第2子と自然分娩をしましたが、今回、母として子育て・家事・仕事の両立を円滑に進める為にも身体の負担が一番少ない無痛分娩を選びました。

無痛分娩に備え、夕方、子宮口にバルーンを入れ、翌日の出産に向けて病院のベッドで安静にしていました。バルーンを入れることで子宮口を5センチ位まで広げ、出産本番にはさらに陣痛促進剤と麻酔を適宜入れていくそうです。

無痛分娩に臨む際には、このバルーンの挿入がとても痛く感じるようですが、予想に反して、私は挿入されても痛みはありませんでした。

 

麻酔をするため、食べ物を口に入れてもよいのは、夜の21時迄。

夫が買ってきてくれた大好きな葡萄を夕食後に食べながら、夫の気遣いに感謝をしました。

 

私のお腹の中で10か月間成長してくれた赤ちゃんと明日には対面できるという気持ちで、私の心は幸せに満ち溢れていました。

娘たちも夫も、新しい家族が産まれてくることの喜びに浸りながら、家族みんなが幸せな気持ちでその時が来るのを待っていました。




出産体験記「前駆陣痛」

今回、私の出産は1万人に1人の割合で起こる、羊水塞栓症と弛緩出血による大量出血で失血死寸前まで行きました。

20代で第1子第2子を出産した際にも出血量が多く、子宮収縮の経過が悪かったという経緯があります。

体質的なものと年齢的なものにより今回の病症に繋がったのかはよくわかりませんが、私の経験がこれから出産をする皆さんのお役に少しでも立てればと思います。

 

また、男性の皆さんにもこの記事を読んで頂くことで、女性の出産の大変さを少しでも理解して頂き、妊娠・出産をしたパートナーへの肉体的・精神的負担が少しでも和らぐ優しい言葉かけや思いやりのある行動を取って頂ければ幸いです。

 

<妊娠9か月38週5日目・入院>

妊娠9か月38週5日目の19時、自宅で夕食を取る前に強烈な子宮口の痛みを感じました。

 

ベッドで横になっても、起き上がる度にお腹に突き刺すような激しい痛みが継続してあります。本陣痛のような痛みの波が十数分毎にあり、「もう産まれてしまうかも!」と感じて、夫に病院に電話をしてもらいました。

この間、家族からの問いかけも激痛で喋れず、「うーん。うーん。」「痛たたたた」しか言えません。

 

病院からは入院の準備をして来るように言われ、陣痛タクシーを呼んで首都高を使い、夫と共に病院へ向かいました(移動時間・約1時間弱)。病院へ着くや否や、既に病院の入り口で守衛さんが車いすを持って待機していました。

車いすを利用して院内を移動し、診察台へ。子宮口はまだ2センチ開口とのこと。お腹の張りも定期的でないため、その日はそのまま入院して、翌日の診察で出産をいつの段階にするかを決める事となりました。

 

病院に連絡を入れるまでの間、夫は家族4人分の夕食を一生懸命作ってくれました。

にも拘らず、タクシーに乗り込み病院に到着するまでの間、私は夫に対してきつい言葉を発していました。お腹の強烈な痛みで、辛辣になっていた私の言葉一つひとつに対して、柔軟にやさしく言葉を返してくれた夫の優しさに感謝です。




第3子を出産しました

皆様、こんにちは。
9月2日の15時27分、3676gramの元気な女の子を出産することができました。


妊娠初期から今日まで、温かいお言葉と励まして下さった皆様、ありがとうございました。


三人目としてこの世に生を受けてくれた娘に対し、私が得てきた今までの子育ての知識と経験、そして夫の社会的な経験値、娘達の想いをしっかりと併せながら、家族みんなで大切に育てていきたいと思います。

そして、また一からの子育てとなります。今回、第三子となり久しぶりの出産です。私が第一子を授かった19年前とは違った目線で、さらなる経験を積み上げながら、子育て施策の充実を足立区から築き上げ、全国で一番といえる取り組みを進めていきたいと思います。
その熱意と覚悟で、子育てと仕事の両立に励みます。

実は、今回の出産は生死に関わるものでした。
産後の出血量が多く、出産した病院から救命救急搬送をされ、一時期、集中治療室(EICU)で治療を受けていました。
1万人に一人の割合で起こる病症で失血死寸前となり、そのため、体の血液6~7割を失い輸血10人分行いました。

今回、出産した病院の適切な処置と緊急搬送された医療チームの高度な対応で命をつなげて頂くことができました。

日を追うごとに快復しています。
今、やっと赤ちゃんを軸足にして、毎日、病院で夫と娘達と一緒に密な生活をしているところです。

私の命を消さずにつなげて下さった沢山の医療現場のスタッフの皆様には、本当に感謝申し上げます。
命の尊さを改めて感じました。
このご恩を社会貢献という形で今後、しっかりとお返ししていきたいと切に思っております。

議会に復帰するまでの8週間、しっかりと体調を整え頑張ります。
皆様、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

長谷川たかこ





HOMESITEMAPLINK 政策活動報告議会報告プロフィール事務所 資料室 リンク