今日は午後から明治大学で行われた2020読み書き配慮セミナーに参加しました。
発達障がい施策について日頃からご教授いただいている明星大学心理学部心理学科 教授 小貫先生のご講演です。
今日は小貫先生の他にも、一般社団法人 読み書き配慮の代表理事 菊田史子さん、そして文部科学省 初等中等教育局 特別支援教育課 特別支援教育調査官の田中裕一さん、現在大学2年生の当事者の学生さんからもご講演頂きました。
先ずは文部科学省 初等中等教育局 特別支援教育課 特別支援教育調査官の田中裕一さんから、合理的配慮のご説明がありました。
「合理的配慮」とは、障がいのある子どもが他の子どもと平等に教育を受ける権利を共有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことであり、障がいのある子どもに対してその状況に応じて学校教育を受ける場合に個別に必要とされるものであり、学校の設置者及び学校に対して体制面、財政面において均衡を失したまたは、過度の負担を課さないものと定義されているそうです。
障がい者の権利に関する条例において、「合理的配慮」の否定は、障がいを理由とする差別に含まれるとされていることに留意する必要があり、障がいのある子どもに対する支援については、法令に基づき、または財政措置により、国は全国規模で、都道府県は各都道府県内で、市区町村は各市区町村で教育環境の整備をそれぞれ行うこととしています。「合理的配慮」の基礎となる環境整備は、これらのことを基にして設置者及び学校が各学校において障がいのある子どもに対して、その状況に応じた「合理的配慮」を提供することが求められているそうです。
一般社団法人 読み書き配慮の代表理事 菊田史子さんと当事者である学生の方からのお話と会場にいる方々へのメッセージを頂きました。
菊田さんご自身には、読み書きに困難を抱えるお子さんがいます。
お子様方の子育てを通して、発達障がい児の親のセーフティーネットの必要性を感じ、親の会の立ち上げや制度の勉強会を開催されてきたそうです。また、新宿区教育委員として、学校現場を訪問しながら、新宿区の教育施策にも関わってこられました。
読み書きに困難を抱える子ども達が、学び、進学し、自分の夢を実現していくために必要なのは「情報」だと気が付かれたそうです。一人でも多くの子どもたち、そしてそれを支援する先生や保護者と情報を共有したい。その思いから、事例バンク事業を始められています。
『本当は学びたいのに、教室の中での学びに困難を抱える子どもたち』
教科書を音読すること。
黒板の文字をノートに書き写すこと。
テストの答案用紙に答えを書くこと。
そんな当たり前の読み書きに、困難を抱える学習障害(がくしゅうしょうがい、Learning Disability 、LD)の子供たちは、日本ではクラスに4.5%程度いるそうです。
文部科学省によれば「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである」と定義されています。ただ困難が特定分野に限定され、発達に遅れがないため、障害ではなく「努力不足」「勉強不足」と見過ごされてしまうことも多いのが実態です。
『鉛筆の代わりにICTを利用する』
それだけで読み書きの困難から解放されます。
そのことを伝えて下さった菊田さんのお子様も、その一人でした。
小学校に入学する頃、子どもの「読み書き」に違和感を感じ始めたそうです。
国連本部の仕組みについて説明して大人を驚かせる一方で、親が隣に座って何度書き直しても、自分の名前を文字で書くことができない。
癇癪を起こし、床に伏して泣きじゃくる子どもの隣で、「あなたのためだから」と、必死に文字の練習をさせた日々。毎日が戦いだったそうです。
ある夜、いつものように疲れ果てた子どもの寝顔を見ながら、「この努力はこの子のためになるのだろうか」「字を書かせたいのは私で、それは私が良い母親でありたいからなのではないか」と、はっとされ、本当の意味で我が子に寄り添っていなかったと気が付かれたそうです。
「書くのは、もうやめようね」とお子様に話すと、ほっとした顔で笑ったそうです。
その日から、親子は、書かなくても学びを続ける手段を探し、東京大学先端研センターが主催する「DO-IT(Diversity, Opportunities, Internetworking and Technology) Japan」と出会ったそうです。
このプログラムは、障害や病気のある小中高校生・大学生の高等教育への進学とその後の就労への移行支援を通じ、将来の社会のリーダーとなる人材を育成するため、「テクノロジーの活用」を中心的なテーマに据え、「セルフ・アドボカシー」「障害の理解」「自立と自己決定」などのテーマに関わる活動を行っており、このプログラムの中で、鉛筆とノートの代わりにタブレットを使うことを知ったそうです。
また当事者である大学生の方からの話では、何が自分にとって学校で支援が必要と思うのか、その困り感を補うためのプロセスを建設的な対話を学校に求め、その対話の中に自分を交えて行うことの必要性を説いていらっしゃいました。ここで重要なポイントは、本人と保護者が必要な支援を学校に要請する場合に支援会議に本人も同席させることが大切であるということ。本人が求めた支援を曖昧のまま流されてしまうと結果として、詰めの甘さが支援内容・開始時期に大きく影響をするそうです。
当事者として自分が必要であると考えられる支援を学校に伝えた際に気が付いたこと。
・自分に支援が必要だという認識と納得
・保護者からのバックアップ&フェードアウト
・「合理的配慮」や「建設的対話」についての情報
・合理的配慮タイミングでに対する無理解に直面
関わったことでわかったデメリット
・試験前は試験勉強と配慮交渉が同時進行のため、体力的・精神的負担が大きいこと
・交渉する場で自分の間隔を頭ごなしに否定されること
・次の人に続いていかない疲労感
関わったことでわかったメリット
・「自分に必要な支援とは何か」を考え、自分についての理解を深めていったこと
・必要な支援をどのタイミングでどれくらいの強さで希望をするか…
など、思考力・判断力・表現力を身に着けたこと
・随時調整・変更ができること
年度・楽器ごとの変更から、最短でその場で変更が可能に
本人が参画するために必要なこととして
・提供する側の障がい者差別解消法の理解が必要
・デメリットを軽減するための体制整備
・※「セルフ・アドボカシー」についての教育を受ける機会をつくること
※ここでいう「セルフアドボカシー」とは、生活上の障害や困難のある当事者が、自分に必要な支援や要求、権利を自分で主張し、自分や仲間たちのために権利擁護活動を行うことである。本来、アドボカシーは、当事者の「声」や「意思決定」への支援であり、彼ら自身の権利の実現を目指している。第三者に権利の保護を求めるのではなく、たとえ小さくても当事者である自身が「声」を出して、主張し、自らの権利を勝ち取ろうとする活動は、権利擁護の原点ともいえる。例えば、書きの困難をICTによって代替することがセルフアドボカシーですし、人工内耳の電池に対する助成金制度を作る事を目的に市町村自治体と交渉することがセルフアドボカシーといいます。
菊田さんは会場にいる皆さんに伝えました。
「発達の凹凸がある子どもや特性が強く出ているけれどもグレーゾーンと言われる子どもを育てるには少々コツが必要です。
我が子のために親が気付いた時から、その時から始められるポイントがあります。」
私の経験から言うと幼少期や学童期だけではなく、青年期や成人期にも当てはめることができるはずです。全てのこと(発達障がい特性により苦しむ当事者や家族)に共通するのですが、「前例がないから配慮を受けられない」のではなく、情報を必要としている人に、必要な情報が行き届くシステムを構築し、私たちが気づいた配慮事例をもっと多くの人に伝えることで救われる当事者や家族がいるのではないか。
菊田さんがおっしゃるように、私たちにできることは、この前例を次につなげること。
同じように悩み苦しむ方々のために、解決のストーリーを届けることです。
ひとつでもロールモデルに出会うことができれば、発達障がい特性で悩み苦しんでいる当事者やその家族にとって、自分達の未来を想像することができるはずです。
明星大学の小貫先生に菊田さんをご紹介いただき、菊田さんの活動を知るにつれ、私が求めていたことがここにあると感じました。同じ想いで活動されている菊田さんに出会え、本当に嬉しく存じます!
発達障がい施策について日頃からご教授いただいている明星大学心理学部心理学科 教授 小貫先生のご講演です。
今日は小貫先生の他にも、一般社団法人 読み書き配慮の代表理事 菊田史子さん、そして文部科学省 初等中等教育局 特別支援教育課 特別支援教育調査官の田中裕一さん、現在大学2年生の当事者の学生さんからもご講演頂きました。
先ずは文部科学省 初等中等教育局 特別支援教育課 特別支援教育調査官の田中裕一さんから、合理的配慮のご説明がありました。
「合理的配慮」とは、障がいのある子どもが他の子どもと平等に教育を受ける権利を共有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことであり、障がいのある子どもに対してその状況に応じて学校教育を受ける場合に個別に必要とされるものであり、学校の設置者及び学校に対して体制面、財政面において均衡を失したまたは、過度の負担を課さないものと定義されているそうです。
障がい者の権利に関する条例において、「合理的配慮」の否定は、障がいを理由とする差別に含まれるとされていることに留意する必要があり、障がいのある子どもに対する支援については、法令に基づき、または財政措置により、国は全国規模で、都道府県は各都道府県内で、市区町村は各市区町村で教育環境の整備をそれぞれ行うこととしています。「合理的配慮」の基礎となる環境整備は、これらのことを基にして設置者及び学校が各学校において障がいのある子どもに対して、その状況に応じた「合理的配慮」を提供することが求められているそうです。
一般社団法人 読み書き配慮の代表理事 菊田史子さんと当事者である学生の方からのお話と会場にいる方々へのメッセージを頂きました。
菊田さんご自身には、読み書きに困難を抱えるお子さんがいます。
お子様方の子育てを通して、発達障がい児の親のセーフティーネットの必要性を感じ、親の会の立ち上げや制度の勉強会を開催されてきたそうです。また、新宿区教育委員として、学校現場を訪問しながら、新宿区の教育施策にも関わってこられました。
読み書きに困難を抱える子ども達が、学び、進学し、自分の夢を実現していくために必要なのは「情報」だと気が付かれたそうです。一人でも多くの子どもたち、そしてそれを支援する先生や保護者と情報を共有したい。その思いから、事例バンク事業を始められています。
『本当は学びたいのに、教室の中での学びに困難を抱える子どもたち』
教科書を音読すること。
黒板の文字をノートに書き写すこと。
テストの答案用紙に答えを書くこと。
そんな当たり前の読み書きに、困難を抱える学習障害(がくしゅうしょうがい、Learning Disability 、LD)の子供たちは、日本ではクラスに4.5%程度いるそうです。
文部科学省によれば「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである」と定義されています。ただ困難が特定分野に限定され、発達に遅れがないため、障害ではなく「努力不足」「勉強不足」と見過ごされてしまうことも多いのが実態です。
『鉛筆の代わりにICTを利用する』
それだけで読み書きの困難から解放されます。
そのことを伝えて下さった菊田さんのお子様も、その一人でした。
小学校に入学する頃、子どもの「読み書き」に違和感を感じ始めたそうです。
国連本部の仕組みについて説明して大人を驚かせる一方で、親が隣に座って何度書き直しても、自分の名前を文字で書くことができない。
癇癪を起こし、床に伏して泣きじゃくる子どもの隣で、「あなたのためだから」と、必死に文字の練習をさせた日々。毎日が戦いだったそうです。
ある夜、いつものように疲れ果てた子どもの寝顔を見ながら、「この努力はこの子のためになるのだろうか」「字を書かせたいのは私で、それは私が良い母親でありたいからなのではないか」と、はっとされ、本当の意味で我が子に寄り添っていなかったと気が付かれたそうです。
「書くのは、もうやめようね」とお子様に話すと、ほっとした顔で笑ったそうです。
その日から、親子は、書かなくても学びを続ける手段を探し、東京大学先端研センターが主催する「DO-IT(Diversity, Opportunities, Internetworking and Technology) Japan」と出会ったそうです。
このプログラムは、障害や病気のある小中高校生・大学生の高等教育への進学とその後の就労への移行支援を通じ、将来の社会のリーダーとなる人材を育成するため、「テクノロジーの活用」を中心的なテーマに据え、「セルフ・アドボカシー」「障害の理解」「自立と自己決定」などのテーマに関わる活動を行っており、このプログラムの中で、鉛筆とノートの代わりにタブレットを使うことを知ったそうです。
また当事者である大学生の方からの話では、何が自分にとって学校で支援が必要と思うのか、その困り感を補うためのプロセスを建設的な対話を学校に求め、その対話の中に自分を交えて行うことの必要性を説いていらっしゃいました。ここで重要なポイントは、本人と保護者が必要な支援を学校に要請する場合に支援会議に本人も同席させることが大切であるということ。本人が求めた支援を曖昧のまま流されてしまうと結果として、詰めの甘さが支援内容・開始時期に大きく影響をするそうです。
当事者として自分が必要であると考えられる支援を学校に伝えた際に気が付いたこと。
・自分に支援が必要だという認識と納得
・保護者からのバックアップ&フェードアウト
・「合理的配慮」や「建設的対話」についての情報
・合理的配慮タイミングでに対する無理解に直面
関わったことでわかったデメリット
・試験前は試験勉強と配慮交渉が同時進行のため、体力的・精神的負担が大きいこと
・交渉する場で自分の間隔を頭ごなしに否定されること
・次の人に続いていかない疲労感
関わったことでわかったメリット
・「自分に必要な支援とは何か」を考え、自分についての理解を深めていったこと
・必要な支援をどのタイミングでどれくらいの強さで希望をするか…
など、思考力・判断力・表現力を身に着けたこと
・随時調整・変更ができること
年度・楽器ごとの変更から、最短でその場で変更が可能に
本人が参画するために必要なこととして
・提供する側の障がい者差別解消法の理解が必要
・デメリットを軽減するための体制整備
・※「セルフ・アドボカシー」についての教育を受ける機会をつくること
※ここでいう「セルフアドボカシー」とは、生活上の障害や困難のある当事者が、自分に必要な支援や要求、権利を自分で主張し、自分や仲間たちのために権利擁護活動を行うことである。本来、アドボカシーは、当事者の「声」や「意思決定」への支援であり、彼ら自身の権利の実現を目指している。第三者に権利の保護を求めるのではなく、たとえ小さくても当事者である自身が「声」を出して、主張し、自らの権利を勝ち取ろうとする活動は、権利擁護の原点ともいえる。例えば、書きの困難をICTによって代替することがセルフアドボカシーですし、人工内耳の電池に対する助成金制度を作る事を目的に市町村自治体と交渉することがセルフアドボカシーといいます。
菊田さんは会場にいる皆さんに伝えました。
「発達の凹凸がある子どもや特性が強く出ているけれどもグレーゾーンと言われる子どもを育てるには少々コツが必要です。
我が子のために親が気付いた時から、その時から始められるポイントがあります。」
私の経験から言うと幼少期や学童期だけではなく、青年期や成人期にも当てはめることができるはずです。全てのこと(発達障がい特性により苦しむ当事者や家族)に共通するのですが、「前例がないから配慮を受けられない」のではなく、情報を必要としている人に、必要な情報が行き届くシステムを構築し、私たちが気づいた配慮事例をもっと多くの人に伝えることで救われる当事者や家族がいるのではないか。
菊田さんがおっしゃるように、私たちにできることは、この前例を次につなげること。
同じように悩み苦しむ方々のために、解決のストーリーを届けることです。
ひとつでもロールモデルに出会うことができれば、発達障がい特性で悩み苦しんでいる当事者やその家族にとって、自分達の未来を想像することができるはずです。
明星大学の小貫先生に菊田さんをご紹介いただき、菊田さんの活動を知るにつれ、私が求めていたことがここにあると感じました。同じ想いで活動されている菊田さんに出会え、本当に嬉しく存じます!
文部科学省 初等中等教育局 特別支援教育課 特別支援教育調査官の田中裕一さん。
一般社団法人 読み書き配慮の代表理事 菊田史子さん。
明星大学 心理学部心理学科 教授 小貫先生は左側。