今日は千葉県・千葉市で行われた、千葉県発達障害者支援センター主催の講演会に出席をしてきました。13時30分~16時30分の3時間で、前半1時間30分が講演会、後半1時間がワークショップとなっています。
講演では、私が日頃から参加をさせて頂いている、成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」代表の冠地情さんが講師をされました。
全国各地で「いいところ」を探し、互いにほめるワークショップを300回以上、これまでに3000人以上の方々がこのワークショップに参加をされています。また、NHKハートネットTVにも出演をされました。
冠地情さんとは私と同い年で親しみやすさもあり、日頃から、当事者としての視点・考え方など、いろいろと教えて頂いてます。
小中学生の頃は、ご自身が不登校・ひきこもり・いじめの三冠王だったそうです。
今日の講演の中では、今までの生きづらさの日々の中で、どのように自分を変え、気付きを得て成長し、利他的思考を獲得して行ったのか、その中で自分らしさを失わずに自己を保ちながら、如何に相手に合わせるか、この狭間の葛藤をご自身の実体験から、赤裸々に語られました。
冠地情さんのお話では、発達障害の人は強いこだわり感を持ってしまうため、なかなか周りの人には共感をしてもらいにくく、結果として余計な所で摩擦が生まれて、人と人との間に距離が出来てしまうそうです。また、その結果、人とうまくいかなくなると、なにかをすることに躊躇してしまい、もう自分自身が傷つきたくないため、自分を成長しようとする機会が少なくなるそうです。経験をしようとする前に自分でブレーキを踏んでしまい、環境的に発達する機会が失われたまま大人になっていくそうです。
その為、主観と客観性のバランスが取れず、自己中心的な主観ばかりが育ってしまうそうです。自分を成長させるために、試行錯誤の連続だったとの話でした。
その中で、多数派の論理の中に自分たちが併せていく努力をしなければ、相手との関係性が築けないという事に気付いたそうです。それが出来なければ、自分が共感してもらいたい時に、相手から共感をしてもらえない、という現実を突きつけられたとおっしゃっていました。
しかし、この多数派の論理ばかりを呑みこんで、自分を抑えすぎてしまうと、当事者の方々は生きづらさを感じる原因にもなるそうです。
相手との関係性の中で、それがニュートラルでなければ、当事者は、人に対して客観視することが出来なくなり、相手から何かを問われても、思考回路が停止するそうです。また、相手を悪者にしないと自分が成立しないという他罰的な論理思考に陥るそうです。
確かに、実際に私も、相手との会話の中で、小さな擦れ違いの積み重ねにより当事者に対して何かを言っても、その先が全く見いだせない、相手側が思考停止をしてしまう状況を何回も目の当たりにしたことがあります。当事者は、何かしらの困難さを感じた場合に、推論能力、予測能力の思考回路がストップしてしまうという状況になるようです。これがいわゆる、責任能力の有無にもつながっていくのかもしれません。
冠地情さんはおっしゃていました。
この問題は家族の中では何ともできない問題だと。
確かに、家族間だけでは、ただの閉塞感しか生まれません。
人間の成長とは、年齢の積み重ねだけではなく、その時々に乗り越えていかなくてはいけない課題が沢山あります。
大人の発達障害の人たちに大切なことは、その障害に気づき、向き合うことです。
そして、社会とその家族が、その人をもう一度見つめ直し、発達障害について理解をしてみようという気持ちを持つことが大切です。
発達障害の特性がわかれば、当事者がなぜそのような行動、言動になるのかが理解できるようになります。そして、当事者本人に対してどのような言葉かけをしたらいいのか、どのような行動をこちら側が取れば当事者の気持ちを和らげるのか、多少なりとも見えてきます。
本人なりの気づきが全くないまま成長をしてしまった成人の発達障害者、他罰的に自己防衛をしているばかりの当事者を抱え、疲弊している家族はたくさんいると感じています。それが、血のつながった親子関係であったり、配偶者だったりと状況は様々です。
また、発達障害という特性からそのような言動が表れているという事実を知らずにいることへの無知さにより、当事者の破壊的言動がエスカレートし、暴力や家庭不和に陥ったりしている状況も垣間見えてきました。
ここでいう、強度の成人期発達障害者の話しは、知的に全く問題なく、むしろ学歴も高く、難関な試験もやすやす合格できる特性を持った人もいるという話しです。そのような学歴の高い人にそんな言動を取る人がいるのかと疑わしく思うこともありますが、学歴は高いのに、やっていることは稚拙で自己中心的、大人になりきれない、思考回路がストップしてしまう、責任能力が持てない、自分の主張が通らなければ暴力で押さえつける状況まで至ってしまう人もいるという現実を注視し、そのような人たちに対する支援をどのように構築していくのか、考えていかなくてはいけない重要な問題だと思います。(現在では、大学側が、発達障害者支援策を早急に行わなくてはいけない課題の一つとして、取り組みを進めています。明星大学、明治大学、東京大学、京都大学などがその支援整備を始めています。)
幼少期に適切な指導、療育がなされていれば、現状は変わっていたはずという状況が現実にあります。
そして、このようなケースを踏まえ、より程度の高い人たちに合わせた支援を構築することが、それ以下の程度の低い人達に対する支援にも同時につながっていくものだと思います。
成人期まで見過ごされてきた発達障がい傾向にある人たちが自分の障害特性に気づき、向き合い、頑張ろうという精神的な感情を抱いてもらえる、そんな支援策を私は当事者会や専門機関の方々と力を合わせて築き上げたいと思っています。