音楽を奏で、皆で楽しく歌を歌いました。
施設庁の稲葉さんとご一緒に。
和やかで温かい施設です。
認知を高める活動をされていらっしゃいます。
施設の皆様と一緒に記念撮影をしました。
西新井大師駅近くにある「春の風支援センター」。
旧正月の季節です。
和やかで温かい施設でした。
デイサービス梅園です。
厨房では、お昼ご飯を作られていました。
帰国者の皆様のなじみのある献立に仕上げているそうです。お心遣いが温かいです(笑)。
みんなで、記念撮影をしました。
近藤区長と一緒に。
今年も沢山の皆さんが集まりました。
団体代表理事 池田 澄江さんと記念撮影。
日頃から親しくさせて頂いている方との記念撮影。
ご夫妻でステキな舞を披露されました!
色とりどりの鮮やかなコスチュームで、楽しい演舞です。
沢山の演目が披露されました(笑)。
「あだち防災マップ&ガイド」と防災啓発マグネットシートです。
防災マップは地域ごとに分けられており、地図も以前より拡大され見やすくなっています。
美味しそうな水餃子がたくさん出来上がりました。
ステキな演奏を披露して下さいました。
歌と喜劇があわさった内容でした♪
アカペラで歌を披露されました。
いつもお世話になっているNPO法人中国帰国者・日中友好の会 理事長池田澄江さんです。
帰国者の方の太極拳です。
みんなで楽しく水餃子を作りました(笑)。
NPO法人 日中友好の会でご活躍の池田会長も駆けつけました。
扇の舞です。
二胡の演奏です。
今回、私が執筆した論文:中国残留帰国者問題の研究-その現状と課題―を掲載します。
少しでも多くの皆様に中国残留帰国者に対するご理解を深めていただき、区市町村などの自治体等においても、政策立案の一助になればと思います。
足立区で生活する中国残留帰国者の数は、東京23区で見ても、江東区176名に続いて第2位の168名です。
昭和20年当時、中国東北地方(旧満州地区)には、開拓団を含めて約155万人の日本人が在住し、ソ連参戦後、これらの人々が、混乱のうちに避難を開始し、このような状況の中で、両親、兄弟と死別し、または生別し、孤児となって中国人に引き取られたり、中国人と結婚をし、中国に残る子どもや婦人などが数多くいました。
日本と中国は1972年に国交正常化。
その後1981年より、中国で生活を余儀なくされた方々の訪日、肉親捜しが開始され、このような中で、日本へ帰国をされる方、中国での生活を選ばれる方々に分かれました。
戦後、60年以上の歳月が過ぎましたが、まだまだ戦争の犠牲者が苦しみ続けているのが現状です。
日本政府がこの問題に積極的ではなかったことが、この問題の解決策を長期化させた原因でもあります。
この論文では、
① 中国残留帰国者に対する理解を深める取り組みの必要性
② 帰国者の高齢化に伴う介護支援の取り組みの必要性
③ 2世、3世問題の取り組みの必要性
④ 地方自治体、地域社会の取り組みの必要性
など、新しい支援制度に基づき、実効性のある支援事業を行うための今後の課題について、考察・提案を行っています。
国の制度設計がようやく終わり、試行錯誤しながらも本格的に支援事業がスタートしました。その後、現在に至るまで、様々な課題が見えてきました。
今後も、帰国者の皆様からご意見・ご要望を引き続きお聞きしながら、国や関係機関に積極的に働きかけ、同時に他の自治体などの取り組みを調査し、参考にしながら、「足立区で生活する全ての人が安心して暮らせる、やさしい街づくり」を目指して、全力で取り組んでいきたいと思います。
NPO法人 中国帰国者・日中友好の会 池田澄江会長からのご挨拶。
今年も大勢の帰国者の皆様がお集まりになられました。
帰国者の皆様で「心からの話」を歌いました。
中国の素敵な舞踊です。可憐な舞でした。
大勢の皆様がお集まりになりました。みんなで水餃子を作っています 手作りの水餃子です! 大西さとる都議会議員と鹿浜団地自治会 江澤会長と記念撮影。 私からもご挨拶をさせていただきました。 すてきな民族舞です 夕方からの鹿浜2丁目の納涼祭に参加をさせて頂きました。 一度、帰宅したので洋服を着替えてます(笑)。 |
今年も恒例の中国残留帰国者交流会&鹿浜団地自治会 納涼祭が行われました。 鹿浜で行われている中国残留帰国者交流会も6回目となります。 2009年から議会でさまざまな政策提案をさせて頂いてますが、鹿浜では自治会長はじめ行政執行機関の皆様のご尽力で、中国残留帰国者の皆様と地域とのコミュニティの確立が着実に進んでいます。 今日は10時から鹿浜いきいき館で餃子作りの下ごしらえと鹿浜2丁目団地の集会室で中国揚げドーナツ作りのお教室が行われました。 私が会場に着いた時には皆さんが楽しそうに会話をされながら、水餃子をたくさん作っていらっしゃいました(笑)。 年々、この催しも区内・区外と多くの中国残留帰国者の方々がお見えになり活気づいています。今日も武道・踊り・歌唱の披露と盛りだくさんの内容でした。 夕方からは、地元恒例の地域の夏祭り・鹿浜団地自治会による納涼祭も行われ、 カラオケ、屋台とこちらも大変な盛り上りでした(笑)。 地域社会とのつながりに関しては全国で大きな課題となっています。 鹿浜2丁目の取り組みは、足立区内だけでなく広く全国の自治体でもお手本になるものです。 今後も、中国残留帰国者の皆様のコミュニティの場を足立区全域に広げ、帰国者の皆様が地域の皆様と安心して暮らせる環境づくりを目指して取り組みをさらに進めていきたいと思います。 本日は、午前中から役所の皆様、自治会の皆様、中国残留帰国者の方々が協力し合いながら運営をされていました。 皆様、本当にお疲れ様でした。 |
大釜を使って水餃子を作りました。本格的です!
保木間第5団地の婦人部の皆様から炊き出しのご協力を頂きました。
足立区全域から多くの帰国者の皆様がお集まりになりました。
NPO法人日中友好の会でもご活躍の陳さんの書です。達筆で皆さん帰りに喜んでお持ち帰りしました!
太極拳のお披露目もありました。
二胡の演奏です。
皆で揚げパンを作りました。
結構難しかったのですが、私も作ってみました(笑)!美味しそうでしょう?
揚げてます。
帰国者の方が作られた刺繍の作品。
帰国者支援にご理解をいただいている、鹿浜2丁目団地自治会 江澤会長と記念撮影。
桑袋団地自治会 佐藤保夫会長からのご挨拶
本格的な中国の餃子を帰国者の皆様から教わりました(和やかな雰囲気でした)
出来上がったばかりのアツアツの水餃子です!
最後は皆で楽しくカラオケタイムです(中国の歌をアカペラで披露されました!お上手です。)
いつもお世話になっているNPO法人 中国帰国者・日中友好の会 理事長 池田澄江さんです。
足立区中部福祉事務所 高橋所長のご挨拶です。
テーブルいっぱいにおいしいお料理がたくさん並びました。ご馳走様でした。
鹿浜のいきいき館で行われました。
大勢のお手伝いの皆さんの手で、次々餃子が出来上がっていきます。
福祉事務所職員、自治会、帰国者の皆様で2000個の餃子を作りました(笑)
カラオケ大会も行われました。
シンガーソングライター ありやさんです。 素敵な歌を披露してくださいました。
中国帰国者の皆さんが消火訓練をしました(初体験だったそうです)
帰国者の皆さんが作った水餃子(すごーく美味しかったですよ)
みんなで記念撮影をしました(笑)
午後から区役所で行われた防災に関する講演会です。
配布された資料です。
中国帰国者等への支援の説明が書かれたボードが夏祭りの会場に出されており、中国帰国者の皆さんが語っているDVDが放送されていました。
中国帰国者の皆さんが、育った故郷の歌を中国語で歌いました。
中国帰国者交流会の看板も立っています。
町会長さんのご配慮で、突然でしたが、私もご挨拶をさせて頂きました。
今日は、港区赤坂、日本財団ビルで、「NPO法人 中国帰国者日中友好の会 設立パーティー」が開催されました。
会場には中国残留帰国者の方々をはじめ、国会議員、地方議員、厚生労働省、関係団体の方々など100名ほどが集まりました。
以前、このホームページでも紹介をさせて頂きましたが、関東地区「国家賠償訴訟原告団」の方々は、昨年の中国残留帰国者の新政策を受けて、集団訴訟を取り下げました。
この度、関東地区の元原告団の皆さんが、帰国者の老後をより豊かにするため、NPO法人を立ち上げることによって、諸活動の展開を可能にし、老後の生活をより楽しく、より意義のあるものにするため設立されました。
「中国残留邦人」問題の歴史や経験を次世代に伝え、日中両国の相互理解や友好の促進に貢献すべく運営されています。
この法人の次の課題は、帰国者のかかえる人権問題、教育問題、医療問題、老後問題、2世3世の就職、住宅問題を想定しているそうです。
また、日中両国間における文化交流や、友好活動等にも積極的に携わっていくようです。
中国には
「世の中に難しいことはない。志があれば何でもできる。」
という諺があるそうです。
私も、その通りだと思います。
私も、さらに今後も、中国残留帰国者の方々も含め、「誰もが安心して暮らせる、足立区」に変えていけるようがんばります。
また、帰国者が多く暮らす足立区として、「帰国者問題解決のお手本」として全国に発信していけるような政策を提案していきたいと思います。
今日は、午前中に新橋、国際親善会館で「NPO法人 中国帰国者・日中友好の会」の副会長さんとお会いしてきました。
こちらの法人は、中国残留帰国者訴訟の東京地裁の原告団がベースになり、昨年の8月にNPO法人として東京都に登録をされました。
裁判が行われた時には、関東地区の原告1093名でした。この方々が裁判の取り下げを行った後、次のステップとして、この法人を立ち上げたそうです。
現在では、埼玉、千葉、都内の方々の正会員50名ほどで組織され、主に以下のような事業を行っています。
1. 中国残留孤児・帰国者の社会福祉支援事業
(保健、医療又は福祉の増進を図る活動)
2. 社会教育事業(社会教育の推進、子供の健全育成を図る活動)
3. 学術、文化、芸術又はスポーツ交流事業
4. 人権擁護、平和推進事業(国際協力の活動)
5. 日中友好、平和推進事業
6. その他目的を達成するために必要な事業
(職業能力の開発又は雇用機会の拡充を支援する活動)
昨年の法改正の後も、中国残留帰国者問題は、まだまだ未解決の問題が多くあります。
「中国帰国者・日中友好の会」の役員の方々は、厚生労働省も何度も訪れ、担当部署に対して、お墓の問題から結婚問題、地域の交流センターへの開設など、要望をされているそうです。
私も、これまでこのホームページでも何度も紹介をしてきましたが、中国残留帰国者問題について、厚生労働省、東京都、練馬区、大田区の他、各支援センターなどに視察に行き、政策決定の場から現場の皆さんのお声まで、多くのお話を聞くことが出来ました。
今後は、これらの調査をもとに、多文化共生という観点からも、2世3世の就労支援や地域との交流の場を設けるなどの対策に向けて、区の職員の皆さんと協議しながら、足立区の取り組みを進めていきたいと思います。
所沢市の航空公園駅から、車で5分程度の所にあります。
所長さんからのご説明。
この後、他の職員の方にも加わっていただきました。
施設内の案内は、中国語、ロシア語で書かれています。
コンピュータールームもありました。
ふるさとの友人とのメールのやりとり等だけでなく、日本語の学習のために使っている人も多いとのことです。
今日は、朝から一日かけて、足立区内に居住されていらっしゃる、中国残留帰国者の方々とお会いし、お話しをお聞きすることができました。
私が議会で提案している「誰にでも優しい街づくり」を進めていくためにも、区民の皆さんから直接お話しをお聞きすることは大変勉強になります。
足立区で生活する中国残留帰国者の数は、東京23区で見ても、江東区176名に続いて第2位の168名です。
昭和20年当時、中国東北地方(旧満州地区)には、開拓団を含めて約155万人の日本人が在住し、ソ連参戦後、これらの人々が、混乱のうちに避難を開始し、このような状況の中で、両親、兄弟と死別し、または生別し、孤児となって中国人に引き取られたり、中国人と結婚をし、中国に残る子どもや婦人などが数多くいました。
日本と中国は1972年に国交正常化。
その後1981年より、中国で生活を余儀なくされた方々の訪日、肉親捜しが開始され、このような中で、日本へ帰国をされる方、中国での生活を選ばれる方々に分かれました。
今回、私は初めて、中国残留帰国者の方々とお会いし、生い立ちから今まで御苦労をされたお話しと心の叫びをお聞きしました。
帰国後、ご努力により、日本社会で生活を確立された方もいらっしゃれば、同じ日本人でありながら、日本社会の閉鎖性などが原因で、うまく社会に溶け込むことが出来ない方もみえます。
日本政府の受け入れ態勢、地域社会の受け入れ態勢への想いなど、実際の体験を交えながら、さまざまなお話しをお聞きすることができました。
戦後、60年以上の歳月が過ぎましたが、まだまだ戦争の犠牲者が苦しみ続けているのが現状です。
日本政府がこの問題に積極的ではなかったことが、この問題の解決策を長期化させた原因でもあると思います。
今後、足立区でも、中国残留帰国者に限らず、日本以外の文化圏で育った日本人の方、また外国出身の方は、ますます増えていくことが予想されます。
私は、先の議会の決算特別委員会の質問の中で「多文化共生」について、外国人登録者数が多い自治体としての積極的な取り組みを、さらに進めるように、行政側に求めました。(詳しくは、10月23日の記事をご覧ください)
その中で、外国人(または、日本以外の文化圏で育った日本人)の方が集える地域のコミュニティの必要性と、行政がそれらのコミュニティを把握し、一緒になって多文化共生の取り組み考えていく体制作りを提案しました。
今後も、さらに他の自治体などの取り組みを調査し、参考にしながら、「足立区で生活する全ての人が安心して暮らせる、やさしい街づくり」を目指して、全力で取り組んでいきたいと思います。